窓の紙が教えてくれたこと
三つの窓の写真を並べてみます。
窓ガラスにちぎって貼り重ねた、薄く漉かれた手漉き紙。
漉かれたまま、成りのままの紙の色。
一番上の窓は、お隣さんの庭畑の緑が淡く映ります。
真ん中の窓は、屋根の上に見える空の色が。
一番下の窓の外には、アスファルトの道路が広がって。
同じ生成り色の薄い紙の窓は、場所によって、お天気によって、時間によって、本当は刻々と変わっています。
それは雪が解け、待ち侘びた春の芽吹き、夏の無音の照り返す暑さ、風に葉は落ち、そして雪が降りて来る…
それくらいにハッキリと変わっています。
私には、それはもう当たり前のこととなり過ぎていました。
「紙」のある暮らしは、大変かけがえのないものではありながらも、あの初々しく満ち溢れた感覚は遠くどこかへ置いてきてしまっていました。
紙を貼った窓にお気づきになられたお客様から今までにも幾度か「色が違う?」と尋ねられた事があります。
先日いらしたお客様もやはり同じようにお尋ねになりました。
初めてご覧になる方には、全く別色の紙が貼られていると疑いのないこと。
ようやく私は目を覚ましました。
初心を思い起こさせてくださる方たちが日々こんなにいらっしゃるのだと。
慣れることは、心静かに穏やかにいられることにも繋がりますし、それは安らぎということにも通じますが、喜びや嬉しみ溢れるといった情熱をもう少しだけ大事に大切にしたい、改めて思いました。
そのように思いましたら「気」が満ちてきました。直さんの染描紙をお伝えすること、紙のめぐみであること、家族のことや日々のこと、どんなこともかけがえのない優しい愛しい気持ちが溢れてきました。
紙を通して、人を通して、また教わりました。
初心は忘れてしまうけれど、それも許して、また歩いて行こう。
直さんの紙は希望ですから。
紙に見る新しい発見を、喜びや切なさを、皆様、どうぞ私に教えてください。
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