旅する流木、聖なる流木


20年来あたためている流木があります。
ネイティブアメリカンの心の内には、流木には精霊が宿ると伝えられているそうです。
世界の海から海へと旅をして、北海道へと流れついた流木たちを、少しずつ、いつも少しだけいただいてきた。思いのやり取りのできる流木だけを。旅する流木をどんと受け取れるほど器は大きくなくて、手にできても生かしてあげられずあたため続けた。精霊が宿っているから。自然となるまでその時を待ってきた。

昨年秋、前記の花カフェシフォンさんでの展覧会のお話しが決まり、制作に向けて一度、群馬県までお訪ねすることとした。その際、頭の中に、聖なる流木のパネルたちが一気に繰り広げられた。
オーナー美枝さんに喜んでいただけるかな、ようやく旅した流木を受け留めることができたように思う。

流木は、飾りではない。
人は、『何か』があると、祈ることや感謝することを思い出し易いように感じる。
日々の中に、あたりまえにあるはずの心、自分の心。だけれど、日常に追われたり埋もれたりで、ちょっとだけ忘れそうになる心。
精霊たちの力を借りて、その心をあたたかく保てたなら、そのように願っています。

旅する流木は、聖なる流木

『 祈り 』
Holy driftwood hymn series 

この流木パネルをそのように名付けたのには、流木たちから讃美歌が聴こえてくるような気がしたからです。


色々なことを思い出させてくれる聖なる流木にありがとう。


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