旅 その二 〜 フレシマ
日の出の刻
海辺からフレシマを臨む予定だった。
もう少し先の落石の海辺から。
何故この刻に陽は昇り、何故この刻にここに居たのだろう。
そのようになっている。
なるようになっている。
17、8年くらいにもなるだろうか。
以前にも、フレシマを訪ねたことがある。
直さんの本の中で知った、直さんの唄で知った「フレシマ」
時々、この詩を唄う直さんの声が、私の頭の中に聞こえる。
「直さんが訪れたフレシマ」へは、今はもう辿り着くことは出来ない。あの時も、この道の先にある行き止まりの前で、幾度となく歩かれたというフレシマに思いを馳せた。そして、根室落石岬の海辺からフレシマを臨んだ。波の泡、海鳥の羽、行き止まりの柵、それらを含めて、「フレシマ」となった。
この紙を染め描く直さんが見つめた空に、風景に、刻に、心を重ねてみたいと思う。
何千年と語り継がれる石の地 ポルトガルや、白夜のノルウェー、風のアイルランド、ゴッホ南仏の草の上、熱の大地 ハワイ、アラスカベーリング海峡、オーストラリアは夜明け前のウルルのベンチにまで。
いつの日か、
「ここで紙を思われたのだ」と、感じに行こうと思っている。
紙と直さんが旅したところへ。紙が生まれたところへ。
それが何になるわけではないのだけれど。
私は、何かを生み出すわけではありません。
それでも、今感じることに思いを馳せる。
思い立ったら鉄砲玉のように走り出す。
そうしたらいい、そう言ってもらえること。
そのすべてにいつもありがとうを持って生きよう。
このことが「私のフレシマ」となるように。
皆さまへと、清しく紙をお伝えできますように。
清らかなる心を信じて。
生きて 遠く
心フレシマ
赤い岩肌
海は 光る
黙りこくる
遠いあの日を
風は 遊ぶ
心フレシマ
流れのさまよ
雲は はるか
思いのままに
あの空 超えて
心 フレシマ
落石の海辺より臨む
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