見る小春


やわらかい光の朝
一枚めくると
ふんわりと優しい小春が現れました

先日、『 目の見えない白鳥さん、アートを見にいく 』という題名の映画を観ました。
以前、「もしも目が見えなくなったら、私はこの大好きな紙たちを見ることができるだろうか」と思ったことがありました。感じ取れるだろうかと。昔から視力がとても良かったので、老眼になり始めた頃にはじめて『見えない』という言葉を自分事として意識しました。

『 見る 』ということ

目で見ている時と胸の奥の方で見ている時がある、子供の頃にアレ?なんだろうと思いました。それに気づいた時は自分がなくなってしまいそうな感じがして少し怖く感じたのを覚えています。

見るは感じること。

直さんの紙の中にいて感じています。
目に映っている輪郭、その奥からこちらへ届く何か。
目から入ってくるのと同時に、私側から外へと流れていく。
紙を見ていても、自然の景色を見ていても、どこにいても、それを感じていたいのだと思います。
そうすると、私の見ている世界がより美しく感じられるからです。
『 美しい 』は、心に喜びと生きる力を与えてくれるからです。

直さんの染め描く紙を、今も私の中に棲む子供の目で見ています。





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